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日々の出来事

2016/03/08

被爆地長崎・一本鳥居

焼け野原にポツンと立つ半分だけ残った鳥居、長崎の被爆写真で見た風景。その鳥居が何処にあるのか、そこも訪ねてみることにした。爆心地から800メートルほどにある山王神社の二の鳥居、今ではすっかり家に囲まれてしまってしるが、被爆写真の通り片方だけ残ったままの姿で、その場所にあった。爆風で半分は倒れ落ちたが、すぐ近くに置かれていた。熱線を浴びた痕が残る。

銘板にはこのように書かれている。「この鳥居は、1924年(大正13年)10月に山王神社の二の鳥居として建てられたが、1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、原子爆弾のさく裂により、一方の柱をもぎ取れれてしまった。ここは爆心地から東南へやく800mの距離にあったが、強烈な輻射熱線によって鳥居の上部が黒く焼かれ、また爆風によって一方の柱と上部の石材が破壊され、上部に残された笠木は風圧で反対方向にずれている。ただ一個の原子爆弾によって当地区もまた、ことごとく灰じんと帰したが、この鳥居は強烈な爆風に耐えあの日の惨状を語りつぐのように、いまなお一方の柱で立ち続けている。」

山王神社の入り口には、町内で亡くなった方の慰霊碑と救護に当たった人の手記が銘板としておかれている。「町内会長をしていたので翌日町内の様子を見て回った。さんさんと照付ける真夏の太陽のもとにあちこちの畑一杯にあるいは死にあるいは生死の境をさまよいながらうめき苦しむ多くの人々、達者なものは重症者の看護に衣装懸命立ち働いている。意識のあるものはすべて泣いて救いを求めた。780余人の総人口のうち200人ぐらいは負傷はしていてもまだ生きていたし、達者な者も150人以上はいたのだが、それから10日くらい経ったころにはばたばたと死んで行き完全に生き残った者はわずか20人くらいに過ぎなかった。」

神社境内には被爆して枯れかけたクスノキが治療を施されて生き続けている。爆風で飛ばされた石などがクスノキのムロに残っているそうだ。

私がこの一本鳥居を訪れた時ちょうど若者のグループがその説明をしていた。被爆遺構の説明をするガイドの研修をしているようだった。被爆体験を次の世代に伝える取り組みが長崎では続けられているのだなあ、若い世代が戦争と平和について考えるきっかけになって良いなあと思った。

去年か一昨年、広島、長崎の市長が、各国の政府の代表は被爆地を訪れて核兵器廃絶の会議をして欲しいと提案していた。核兵器がどれだけ人道に反する兵器であるかを知るのは現地を訪れて残された資料や遺構を見ること被爆者の話を聞くことに尽きる。

広島、長崎そして沖縄、まだ行ったことのない人は是非足を運んで欲しい。どんなに沢山の書物を読むよりもその場所に行けばわかる事が沢山ある。そこには一人一人の生の営みがあり明日もまた来ると信じて暮らしていた。 政府の誤った戦争遂行の方針によって、人々がこんなにも沢山むごたらしい死に方をした。その記憶をずっと忘れることのないように、政府の行為によって再び同じ過ちを犯すことのないように、私たちはずっと記憶し続けなけらばならないから。

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