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日々の出来事

2021/07/15

イタリアで「米博物館」(農民の昔のくらし)

日本政府は、7月8日に12日より東京に4回目となる緊急事態宣言発令を決めた。前の宣言解除から1ヶ月も経っていないのに。それでも、オリンピックは開催するというのだ。ハァ〜?国民には、出歩かないで、集まらないで、会食しないで、飲み会しないで、と言いなから、海外からはお客さんいらっしゃい“日本のお・も・て・な・し”などと言っている。壊れたテープレコーダーの様に“安心・安全のオリンピック”と言い続けている。政府の思考停止状態に呆れてしまう。このコロナの時にこの政府で国民は本当に不幸だ。

さて、壊れたPCから救い出したデータで、過去の記憶を辿る旅は、2017年3月イタリア北部穀倉地帯の地図にない「米博物館」のお話。以前の旅でピエモンテ州を通過した時に、ガイドから“この辺りはコメ作地帯です。コメの名前は「イタニシキ」”と聞いて、冗談と思ったが、コメが主食ではないイタリアでもコメ生産があるのか、知りたくなって行くことにした。

3月なので、田は起こされていたが、水も引かれてない、ただ広い平らな土地にぽつんとレンガの大きな建物がある、地図には“Riso Acquerello”と“Tenuta Torrone della Colombara”と書かれている。大きなレンガの建物の前で、待ち合わせをしたのは現地ガイドのマリオ。マリオはここで育って、自分の育った暮らしを残したいので、建物の所有者を説得して、博物館として保存していると言うのだ。

この日、広い中庭では、お得意さんを集めてのパーティの準備が進められていて、規模の大きさと言いセットの美しさと言い驚かされる。

広い敷地を囲むように建てられた煉瓦造りの建物は、1階が小作農または労働者の住まいと作業場で2階は穀物倉庫として使われていた。マリオは70歳くらい、ここで、叔母さんに育てられた。残された生活用品や農機具からは機械化がすすむ以前の農村の暮らしぶりや農作業の様子などが垣間見える貴重な場所だ。日本でいえば、昭和の暮らし博物館とか郷土資料館のような存在だろう。

“小作農または労働者”と書いたのは、イタリアでは戦後の農地解放がなかったのか?大地主と小作人の関係が続いたのか?よく分からない。現在でもこの建物の所有者は広い農地を所有しているようだから。

米作りはこの地域で500年以上前から続けられていた、宣教師が中国に行って米作りと貯蔵方法を学んで伝えた、とされている。この建物も500年前からあるらしい。

少し離れた場所に、倉庫があるが、そこは『にがい米』と言う映画の撮影に使われた寄宿舎が残されている。田植えの頃に季節労働者として各地から若者がやってきて、事件が起きるお話らしい。戦後まもなくの米作りの様子がこの場所を使って撮影されたそうで、機械化される以前の様子がわかる。今では、幅5メートルとか7メートルの機械で収穫するのだから恐れ入る。ちなみに、この生産者“Riso Acquerello”の米は1キロ10ユーロくらい(約1300円)ん〜、高い。

観光客として訪れる場所はお城や貴族の居館や教会など美しいものやお高いものばかりなので、私たちと同じ普通の庶民の暮らしぶりを知ることはなかなかない。この場所に行けて、データも残すことができて、よかった。

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動画のBGMはicons8.comよりSvyat Ilin
"SAVE THE DATE","TOUCH","COLD WIND","THE END OUTRO"