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お爺さんの伝言6

戦時下の青春

 〜旧満州、ソ連抑留の八年間〜

抑留=ラーゲル(収容所)での生活

敗戦の年の10月ごろ、第4ラーゲルに収容されました。一つのラーゲルは300人ぐらいの集団が入れる大きさで、コムソモリスク全域に20以上のラーゲルがあったようです。建物の中には「ペチカ」が3〜4つぐらいあり、真ん中が通路で、左右が一段高くなったところが寝台で、二重の窓が両側にありました。寝具は藁(ワラ)布団の上に毛布を敷いた敷布団と、毛布2〜3枚の上掛けで、雑魚寝でした。

冬場は、日中でもマイナス20度、夕方になるとマイナス40度ぐらいになり、道路は凍り、「ビーン」と、ものすごい音を立てて割れ、それが朝まで続きます。アムール川の氷も割れます。排泄物も凍り、柱のように高くなってしまい、時々たたき割って畑に捨てました。

収容された年の冬は、疲労困憊状態で、食べ物が悪く、栄養失調。寒さとノミ・シラミによる伝染病で高熱が出る「回帰熱」になりました。特効薬のアンプルも少なく、あまり使ってもらえずに、次々と死んでいきました。

とくに死亡した人には、招集で駆り出された40〜50歳代の人が多く、奥さんや子どもの名前を呼びながら死んでいきました。

死んだ人は「土葬(どそう)」にしますが、上が凍る時期は深く掘れずに埋めるので、狼や犬にあらされてしまう。

ラーゲル内の生活はソ連軍の指示によって進められました。食べ物や生活用品は、日本軍の量秣(りょうまつ)倉庫や中国から接収したものが配られました。食器類がなかったので、ラードや乾パンが入った空き缶を利用しました。一定の食事は配られましたが、粗悪なものばかりでした。

いちばん困ったのは、渋皮がついたままの「高梁(コウリャン)」で作った「粥(かゆ)」が配られた時です。食べた後、便秘になり、その後に激しい下痢で、体力が落ちて栄養失調になりました。

野菜も少なく、ビタミンC不足で、壊血病や歯槽膿漏にかかったり、体中の毛が伸びず、チリチリで毛穴が膨れ、鮫肌のようになってしまいました。

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脚注

【抑留】ソ連に抑留された軍事捕虜(1941年6月〜45年9月)24カ国410万人以上詳細
シベリアだけではなく、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、ウクライナ、グルジア、モンゴルなどにも抑留された。(ソ連側の資料を翻訳した長勢了治さん紹介記事

<食べ物が悪く>「捕虜の時に、ひじきをたくさん食べさせられた。一生分食べたからいらない。」と家でひじきを食べることがありませんでした。