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お爺さんの伝言8

戦時下の青春

 〜旧満州、ソ連抑留の八年間〜

帰国

昭和23年9月初め、急に「帰国」という情報が入ってきたかと思うと、「すぐ支度しろ!」と命令が出ました。内心では、「別の場所に連れて行かれるのでは」と疑っていましたが、貨車に乗せられ、一週間かかってナホトカについたときは「やっと帰れる」と確信できるようになりました。

しかし、先に着いていた部隊がまだ乗船していません。3〜4日足止めされた後、船はどんどん往復するようになり、やっと乗船することができました。

3日ほどかかり舞鶴に近づくと、北方では見かけない竹が、山の方で風になびいているのが見えました。やっと「日本に帰ったなあ」と、感激しましたね。

昭和23年9月末に舞鶴に到着しました。舞鶴港は大型船が入港できず、小さな船に乗り換えて上陸しました。DDTで消毒され、いろいろな検査をされて、やっと大分へ向かいました。

大分駅に着くと姉の旦那さんが迎えにきてくれて「ご苦労さん。言いにくいが、おふくろさんが今年の6月に亡くなったんだよ」と・・・。捕虜になった時、1回だけ手紙を出したのが届き、母はずっと私と3番目の兄の帰ってくるのを待っていたそうです。

父は、私が抑留されたころ亡くなったそうです。次兄(16歳上)は、昭和21年初めに帰国できたので両親に会えました。3番目の兄は、私の後の船に乗り、昭和23年10月中旬に帰国しました。

私は、軍用犬の訓練から始まり、8年ぶりの帰国でした。(了)

◇行程◇

大分県大分郡松岡村下関(1940)⇒ 船 ⇒釜山⇒ 列車 ⇒遼陽⇒ 列車 ⇒ 奉天('43.1.3)鞍山撫順⇒列車⇒ハルピン('45.初)⇒船⇒同江撫遠⇒船⇒佳木斯(ジャムス)⇒列車⇒延吉⇒列車⇒明月鎮(駅)⇒徒歩⇒サンドアイ('45.6)⇒徒歩⇒図們江(トモンコウ、'45.8初旬)サンドアイ('45.9初旬)⇒徒歩⇒明月駅⇒徒歩⇒延吉('45.9下旬)⇒徒歩⇒ウラジオストク⇒列車⇒ハバロフスク⇒列車⇒コムソモリスク収容所('45.10下旬)3年間⇒列車⇒ナホトカ('48.9中旬)⇒船⇒舞鶴(48.9下旬)⇒列車⇒大分駅松岡村

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