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旅行

2012/03/04

世界遺産マントヴァ

世界遺産のカテゴリーで正しく言うと「マントヴァとサッビオネータ Mantova e Sabbioneta」となる。マントヴァはロンバルディア州マントヴァ県の県都でミラノの東南158km、サッビオネータはマントヴァの西南30kmに位置するコムーネ(自治体)で、この2つの町は、「時の支配者ゴンザガ家の強い指導力と影響の元、ルネッサンス的都市計画、そして建築美を具象化した秀逸なる実例」として、一つのカテゴリーとして世界遺産に登録されている。地図

私たちの宿CorteVirgilianaから20分も走った頃、美しい構造物が見えてきた。「Palazzo del Te/パラッツォ・テ」ジュリオ・ロマーノが、成熟したルネサンス様式でつくったゴンザガ家の夏の離宮だ。外壁は美しい曲線を描き、中はだだっ広い広場があり、コノ字型の建物。観光客が他に居ないのでなおさら広く感じる。建物の中心部分は大きな広間が続くが、端の方には小さなプライベートな部屋が幾つかあった。当時の流行が「自然を取り入れた部屋」で溶岩を壁に施した岩窟の様な部屋もあった。
       

Palazzo del Teを後にマントヴァの中心部へ向かった。世界遺産に登録される地域はお城と言わず、町並みがとても美しい。次の訪問先は、Palazzo Ducale/ドゥカーレ宮殿だが、その前に珍しいコーヒーを試してみる。なんと、ペッパー入りコーヒー。エスプレッソコーヒーに少々のブラックペッパーと砂糖を入れたみたいだ。少し、ピリッとするがそれほど辛くなくほんのり甘い。香りはコーヒーと全く違う香りがする。その他にもジンジャー入りコーヒーもあるらしい。イタリア人のコーヒーの飲み方は不思議だ。

ドゥカーレ宮殿と歴史的な建物は、ソルデール広場を取り囲むように建っていた。今まで訪ねた歴史遺産とちょっと違うと感じたのは、地面を覆う石畳に丸い石を使っている。表面が何となくデコボコした感じに見えた。何世代にも渡って宮殿を拡張していったのだろう、作りの違う建物がつながり、全貌をカメラに納めることはできない。

今は博物館になってるこの建物に入って驚いたのは、迷路の様なつくり、廊下と階段の広さ。階段は段の幅が広く、一段の高さが低い。これはお年寄りでも歩きやすかっただろう、と思ったら、城内を馬で移動するために階段の段差を低くした、というのだ。広くて、複雑で迷路の様なお城だ。

     

     

2012/02/27

CorteVirgiliana

ガイドのBittoが案内してくれる旅の特徴のひとつは”その土地でしか出会うことのできない宿”。ありきたりのホテルではない。初日のホテルも感激したが、2泊目のこの宿もすごく面白い。私たちの泊まる部屋は大広間のある建物から一旦外に出るとズーと奥の方に行って、裏口のような所をくぐり、小さな扉を開けて螺旋階段を上ったところにあった。幾つかの扉があり、どの部屋でも気に入った部屋(それぞれ作りが違う)を使って良い、といわれ、好きな部屋を選んだ。宿泊客は私たち以外にはいない。部屋はかなり広くて、アンティーク家具が置かれ落ち着いた雰囲気、キッチンが付いているが、大きな戸棚に隠されているので戸を開けないとキッチンがあることに気づかない。

     

朝になって、この宿の全体像が分かった。私たちの泊まった部屋は敷地の端にあって、高い塀があり塀をたどると大きな門がある、門から続く道を東にたどると大きな屋敷がある。屋敷の更に東側はまた道があり、北側に牛舎と倉庫、南側にも牛舎と倉庫がある。東側も真ん中に道を通した倉庫か作業部屋のような建物がある。通り抜けがある位置は鐘楼になっているようだ。館のあるところには必ず、馬小屋や作業小屋や雇い人の住まいなどがあるので、かつては、そのように使われたのだろう。そして、そこから道が延びて並木が続く、周囲は見渡す限り何もない。私たちが入ってきた方の道は南側で、「CorteVirgiliana」看板が出ていた。門が自動開閉式だったのには驚いた!

     

2012/02/24

ミラノからマントヴァへ

この地図をクリックするとhttp://www.full-italian-support.com/map/m03.htmlのページに移動しますミラノで少し遅い昼食を済ませ、次の目的地マントヴァに向かった。マントヴァはルネッサンス期の美しい建築や町づくりが世界遺産に登録されている。マントヴァはミラノと同じロンバルディア州だが150キロ以上東南東に下がったところで、ヴェネト州とエミリア・ロマーニャ州に挟まれたところにあり、ヴェネチアやヴェローナにも近い。高速道路を走りながら日本とは全く違う風景を楽しんだ。どこまでも水平で切り開かれた農地が続く、ところどころ、規則正しく植えられた樹林や農家が見える。夏であれば緑の絨毯に覆われた大地なのだろうが今は土の色しか見えない、それが残念だ。この広い農地がイタリア人の胃袋を支えているのだなあ〜と思った。イタリアに来る前にテレビでCWニコルさんが話したことを思い出した。「日本では原始の森を大切に残している、だから多様な植物が育っている。ヨーロッパでは原始の森を切って植林をしてきたから多様な植物が育ってない。」規則正しく並んだ樹林を見ながらそのことを実感した。

ロンバルディア州はずば抜けて世界遺産が多い州で、昨年も2カ所が登録された。東南ルートで行けば新しい世界遺産Bresciaブレシャを通るが、クレモナを通る南東ルートで行った。クレモナはバイオリンの名器で名高いストラディバリの工房がある町だそうだ、ガイドはそこに立ち寄ることを考えてくれたが、私たちの中で寄りたいという人が無かったので、結局寄らずにマントヴァに直行した。

日も暮れかかり、田舎道をすすみたどり着いたその日の宿は大きな牛舎のある農家だった。気温もかなりさがり寒い。牛舎の方から作業着姿で現れたのがオーナーだ。チェックインのため招き入れられた建物の中は天井は高く部屋は広く寒々としていた。手続きをガイドにまかせ、奥の部屋を見せてもらった。広い広間がいくつも続きアンティーク家具や絵画、時代を感じさせる写真などが飾られていた。前日の貴族の館とは違って質素なものだが、農家にしては立派すぎる建物だ。オーナーの話によると、14世紀ころ水上交通が盛んで、この宿は船宿として使われた、ローマ法王や領主たちが宿泊した、という格式高い宿だそうで、どおりで、農家とは思えない部屋の作りになっていた訳だ。

     

2012/02/17

ミラノ 貴族の別荘に泊まる

ミラノマルペンサ空港から約20キロ北のコマッビオ湖のほとりヴァラーノ・ボルギVarano Borghiという小さな村(comne)にHotel Villa Borghiはあった。北イタリアの湖周辺は避暑地として沢山の別荘があるが、このVilla(別荘)もそのひとつ。

贅沢な旅行はできないが、せっかくイタリアに行くなら、一度くらいはお城か貴族の館に泊まってみたい、そんな願いをかなえてもらえた。日没が早くホテルについた時は既に暗かったが、ライトアップされた館が私たちを迎えてくれた。こんなに美しい館に泊まれるんだ、Vella!

初めて見る貴族の館、張りぼてではなく本物。出来得る限りの贅沢を尽くすのが貴族の財力を示すやり方なのだろう。ガレリアのごとく絵画が飾られ、アンティーク家具が置かれ、天井にも絵が描かれ美しいカーテンが吊るされている。特に目を引いたのはシャンデリアだ。フロントや広間、客室だけではなく廊下やレストランにもシャンデリアが下げられ、しかもフロア毎にガラスの色、デザインが違うのだから驚く!

到着時は暗くてホテルの全貌は分からなかったが、森に囲まれた広大な敷地の中にあったのだ。いつか、緑の美しい季節にもう一度泊まってみたい!

     

     

2012/02/15

ミラノ「最後の晩餐」

1月24日、私たちはサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」の前に立った。イタリアに初めて行く友人の希望で実現した。かの巨匠レオナルド・ダヴィンチが描いたこの人類の遺産は幾多の危機を乗り越えてこの場所に蘇った。私もミラノ三回目にして初めて見た、感無量である。この部屋は痛んだ壁画を保護するために入場制限が行われてるので団体のツアーではなかなか入ることができない。そのため、私も初めてパックで訪れた時はこの場所には来てない。

そもそも、同じ時代の他の壁画に比べて「最後の晩餐」がなぜこんなに痛んでしまったのか・・・レオナルドは面倒なフレスコ画を嫌って、油彩で描いたのだ。絵は20年位ではげ落ち始めたという。更に、フレスコ画でない絵にとって悪い条件は描かれた場所が修道院の食堂で、壁の反対側が厨房なので常に湿気を持つ状態になったという。食堂が馬小屋として使われたり、時代は下って、第2次世界大戦では爆撃されたという。まさに幾多の危機を乗り越え、数年間の修復を経て蘇ったのだ!!

レオナルドが描いた「最後の晩餐」の場面は、キリストが12人の弟子たちに「この中に私を裏切るものがいる」と告げた次の瞬間、つまり、キリストの言葉を聞いた弟子たちが隣り合うもの同士でひそひそと話し始めるその瞬間だそうだ。なんと、動きがあって面白い!そう言えば、同じテーマで描かれた他の作品は正面向いた動きの無いものが多い。3人を一塊にして、三位一体を表しているそうだ。
館内は撮影禁止、写真は私が撮ったものではない。キリストの真下にある白い空洞が厨房への入り口があった部分。

この同じ部屋の向かい側の壁には他の画家のフレスコ画が描かれている、レオナルドは、帰りがけにそこに悪戯がきをしたと伝えられている。ちょうど、油彩で描かれた部分だけが剥がれ落ちていた。

日本人の私にはキリスト教に関する知識は無いに等しい。だから、キリスト教が歴史や文化を作り、人々の生きる規範となっているこの国の文化や考え方を知るには、少しでもキリスト教のことを知ってるほうが分かりやすい(世界遺産は宗教的な施設が多い)。イタリアの旅は世界遺産を避けて通る方が難しいと言われる。世界遺産を旅するには歴史や文化を正しく伝えてくれる現地ガイドは欠かせない。今回の旅もイタリア人ガイドBittoのおかげで、イタリアのいろいろな顔を見る良い旅ができた。ちなみに、私はガイドBittoのサイトの運営に協力している。サイトはこちら  http://www.full-italian-support.com/index.html   世界遺産を紹介する地図はこのページ