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旅行

2012/03/23

ホテルの料理教室

Modenaを後にBologna Dozza/ボローニャ県ドッツァ村に移動した。Dozzaも「美しい村」の一つだ。ぶどう畑や畑が広がる小高い丘に元修道院を改装したホテルMonte del Re/モンテ・デル・レがある。ここでは、ホテルのレストランで料理教室に参加する。こんな企画はパックのツアーではまず無いだろう!でも、その企画を聞いた時にはちょっと無理があるかも・・・と思った。言葉の壁があるし、時間的なゆとりもそう無いし・・・しかし、イタリアの料理人に直接料理を習うことなどこの機会を逃せばないだろうし、この企画に参加することにした。生徒は私たち3人だけ!

料理教室の前にホテルの中を案内してもらった。けっこうな田舎にあるが、高級なリゾートホテルだ。なんだか、すごいところで料理を習うんだ!でも、私たちのメニューは簡単なデザート作りにしてもらった。厨房に案内されてレシピを渡された。デザートのメーニューはアイスクリーム、アーモンドワッフル、チョコレートタルト、自宅では作ることの無いメニューだ。自分が調理に加わらなくて良いのでとりあえずビデオをまわした。プロの仕事は道具と手際が鍵!いつか、アーモンドワッフルとチョコレートタルトは挑戦してみよう。実はアーモンドワッフルもチョコレートタルトも私が知っているそれとは随分違うものだった。

出来上がりは、きれいに盛りつけていよいよ試食。なぜか地下のワイナリーに案内された。修道院のころは食料庫だったとか。友人がアメリカンコーヒーを頼んだらエスプレッソコーヒーにお湯を入れたポットを持ってきた。ガイドのBittoの話によると、イタリア人はアメリカンコーヒーを飲まないから、入れ方を知らないとか、だから、飲む人がお湯で薄めて飲んで、ということらしい。イタリアに来たら決してアメリカンコーヒーを注文してはいけない。

2012/03/22

モデナで

マントヴァに2泊したあと、次の目的地フィレンツェに向かった。途中、マントヴァから南約70キロエミリアロマーニャ州モデナと、モデナから東南約80キロBologna Dozzaに立ち寄り、Dozzaから宿泊地のFirenzeサン・カシャーノ・イン・ヴァル・ディ・ペーザまで南に約160キロ一日で約300キロを走破する旅になる。

モデナという地名は日本ではほとんど知られてないだろうが、イタリア料理では有名なバルサミコ酢の伝統的な産地だそうだ。
モデナは、Duomo di Modena/モデナの大聖堂、Torre Civica/トッレ・チヴィカ=市民の塔、Piazza Grande/グランデ広場が世界遺産に登録されている。
モデナの大聖堂は、11世紀に建築が始められたヨーロッパでは重要なロマネスク建築のひとつ。 Torre Civica/トッレ・チヴィカ=市民の塔は別名Torre della Ghirlandina/ギルランディーナの塔とも呼ばれているそうで、12世紀に五階建ての塔が完成し、13世紀から15世紀に八角形の六階部分と尖塔を付け加えた。塔についた風向計は青銅製の花冠(ghirlanda)で飾られており、ギルランディーナという呼び名はそれに由来している。塔の下部はロマネスク様式、上部はゴシック様式となっている。建築様式のことはよくわからないが、古い時代にたてられたものは地味である。古いものほど修復作業が欠かせないので、どこの世界遺産を訪ねても、どこかしら、修復作業中であったりする。幾つかの世界遺産を見てきたが、「これ、いままで無かったかも・・・」といのがここにはあった。塔の建材である大理石が不規則にかすがいの様なものでつながれている。
グランデ広場に面した時計台の文字盤は1から24時までが書かれている。こんな時計初めて見た!

ドゥオモの向い側には大司教のお住まいがある。私たちがちょうどその前を通りかかった時、鐘の音が響き、建物の扉が開いた。「ほら、今から大司教がお出ましになる」とBittoが言った。えっ?どうして、そんなことが分かるの?理由を聞くと、その建物の扉の上に2つの紋章がかかげられ、そのうちの一つは大司教の住まいを表す紋章なのだそうだ。今度、ドゥオモを訪ねたときは、その紋章を探してみるのも面白い。

食の国イタリアを訪ねたら一度は行ってみたいのがMercato/市場だ。決まった曜日に開かれる朝市は出会える可能性が低い、モデナはグランデ広場のすぐ近くに常設の市場Mercato Albinelliがあるので訪ねてみた。初めて見る素材から調理済み食品もあるのでとても楽しい。去年お邪魔したお家でいただいたリコッタチーズにクルミの蜂蜜かけがもう一度食べたくて、リコッタチーズを買い求めたが、残念、クルミの蜂蜜は無かった。クルミの蜂蜜をいつか手に入れたい。


2012/03/11

16世紀に日本人が来た

マントヴァの名物を楽しんだ後、20キロほど南の町 San Benedetto Po に立ち寄った。マントヴァ県は真ん中をポー川が流れているためか周辺には**Poという町が多い。
余談だが、フランス発祥の「最も美しい村運動」 (農山村の景観・文化を守る活動)というのがあって、日本でも「日本で最も美しい村連合」があり大分県では湯布院の塚原がこれに登録しているが、イタリアでも200近い村が「イタリアで最も美しい村」に登録されている。San Benedetto Poもその一つだ。

冬の午後は日の傾きが早い。教会前の広場が駐車場で近くに博物館を兼ねた案内所のような所に入ってパンフレットをもらった。目的の場所はそこではなく、以前にガイドのBittoが宿泊した素敵なホテルを見るためだった。教会は大都市のDuomoのような派手さはないが、彫刻などがかざられそれなりのおもむきがある。観光客など全くいなくて、通る人も少なく閑散としている。もしかして、この町の人は日本人の観光客など見たこと無いかもしれない。

サン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院の長い回廊を通り越して何となく路地を歩いたところに、そのホテルはあった。ホテルというか、どこが入り口なのか、なんか、修道院とつながっているような感じもした。レリーフの施された木の扉を開けて中に入りオーナーに案内してもらった。この重厚なとびらといい、廊下の広さといい、天井の高さといい、かなり、歴史のある重要な建物だったに違いない。それぞれの客室もかなり広くすてきな部屋だが、今はユースホステルとして使うために安っぽい2段ベットを詰め込んでしまってるのが残念だ。
ホテル内をひとまわり案内してくれてオーナーが説明してくれた。”かつて、病院として使われた建物です。16世紀に日本人がここに来てます。”5世紀も遥か昔に日本人がこんな田舎町に来たなんて!?確かに、その時代にキリスト教を学ぶためにローマに派遣された少年がいたことは知っているが、こんな田舎町に立ち寄ったとは初耳だ。オーナーからはそれ以上の説明は無かったが、そのことがどうしても気になった。

この場所に立ち寄ったのは「天正遣欧少年使節団」で、1582年に九州のキリシタン大名の名代としてローマへ派遣された4人の少年を中心とした使節団、これにより、ヨーロッパに日本の存在が知られるようなり、日本に活版印刷機を持ち帰った。少年たちは、フィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア、ヴェローナ、ミラノを訪れた。おそらく、ローマからヴェネツィアに向かう途中にこの地に立ち寄ったのだろう。友人も気になって後で調べたと言ってた。修道院の地下に使節が訪れたことを記念する石碑が残されている、1585年7月15日だそうだ。

     

2012/03/08

名物料理

私たちがイタリア料理といって思い浮かべるのは、パスタ、ピザ、リゾット、生ハムなど、日本でも材料が手に入り料理しやすいものばかりで、それ以外のことはあまり良く知らない。マントヴァでぜひ食べてほしい料理がある、とガイドのBittoに案内されたのが「Osteria ai Ranari/居酒屋ラナリ」だ。「マントヴァでは昔からカエルを食べてて・・・」と言われ、我が耳を疑ったが、かつて日本も戦後の食糧難の時にカエルを食べてたことを思い出せば、そんなに不思議なことでもない。日本ではウシガエル又は、食用ガエルと言って大きなカエルでそのもも肉が鶏肉に似てると聞いたこともあるので、それを想像して、せっかくの名物なので食べることにした。その他ロバの肉の煮込みやロバの肉のパスタ、これも初めて!
運ばれた皿には数種類の野菜とカエルのフリッターが山盛り載せられていたが、それは、全く想像と違うものだった。ちょっとその姿に驚いたが、毒があるわけでもないし、土地の人はずーっと食べてたのだからそれなりのものなのだろう。大きさは、たぶん、田んぼで見かける小さめのカエル、肉を食べるというより、カルシュームの補給、だから頭部は固いから付いてないんだろう。塩気の無い骨太の干物を食べる感じ。しかし、かなりのボリュームだった。

私たちの食事が終わり、店の客も引けたころ、店内を切り盛りしてた女性がガイドのBittoの所に来て話し始めた。「以前に、日本人が取材に来たの。出版した本をもらったけど、どんな風に書いてくれたか読んでもらえる?」彼女が持ってきたのは「イタリア美食遺産 平松玲」表紙の見出しには「イタリアに”イタリア料理”はないのです。」と書かれた本だった。本には「前の経営者が高齢で店を閉じることになって、子どもの頃から食べてきた料理を途絶えさせたくなかったので、若い従姉同士の女性二人が店を引き継いだ」と書かれてあった。私は、この本の見出しに書かれてた「イタリアに”イタリア料理”はないのです。」に至極納得してしまった。私たちが知ってるイタリア料理はほんの一部分で、地方に行けば独自の歴史風土と文化があり独自の素材と料理がある。それを今回の旅でも体験した。

     

       

ガイドのBittoは、日常のイタリアの姿を日本人に紹介しようと地元の人がよく使うレストランに案内してくれる、Bittoサイトではいろいろな料理を見ることができる ⇒ こちら

2012/03/04

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