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日々の出来事

2017/06/03

幾重にも続く葡萄畑

イタリア旅行の話だが、旅の後半でワイナリーを訪れることになった。どちらかというとビール党の私は、あまり気がすすまなかったのだが、有名なワインの産地らしいので行くことにした。行く前にその周辺が世界遺産に登録されたことがわかり、世界遺産に立ち寄ってみたいと思った。
前日は地中海を望む海岸近くに居たのに内陸に移動するわけで、北東を向いて移動することになるので、移動の途中思いがけず素敵な景色を眺めることになった。それは紛れもなくアルプス山脈、雪をいただき悠然と構えるその姿はなんとも美しい。ピエモンテ州にはいったのだろう。イタリアでアルプス山脈を見るというイメージが私の中にはなかったので、その姿が現れた時には思わず声を上げた。昨日は地中海を見て、今日はアルプスを見て、なんて贅沢な旅なのだ。

ピエモンテ州と言えば、トリノオリンピックの開催された土地で統一イタリアの最初の首都が置かれたのもトリノなので、都会的なところかと思っていたが、そうでもない。高速を降りると果樹や牧草地そして葡萄畑の田園風景が広がる道をすすむ。目指す場所はトリノから南東に50キロ以上離れた村だが、葡萄畑が続く丘陵地帯の小高い丘にある小さな集落で一旦車を降りた。La・Morraという村で幾重にも連なる丘の中で、より高い場所にあり、そこから世界遺産のBarolo村とその周辺の景色を一望することができる。幾重にも連なる丘陵に葡萄畑と小さな集落が視界の限界まで続き、その先もどこまでも続いてるように思えた。

その世界遺産は「I paesaggi vitivinicoli del Piemonte: Langhe-Roero e Monferrato(ピエモンテの葡萄畑の景観:ランゲ・ロエロ・モンフェッラート)」と名付けられ、76,000ヘクタールの土地に6ヶ所の村と生産地を含む場所が指定されている。

そしてまた、葡萄畑が続く丘陵地帯を走り続け、小さな村Treisoのレストランに到着する。そのレストランで、かつてスローフード運動の相談がされたと、ガイドが説明した。スローフード運動発祥の地は「Bra」が有名だが、相談をしたのはこのレストランと言うことらしい。店の看板には”Osteria dell'Unione”と書かれ、スローフード運動のロゴのカタツムリが描かれている。直訳すると「スローフードの居酒屋組合」となるのだろうか?ここでお昼をいただいた。

また、葡萄畑を眺め移動してバルバレスコ村のMONTARIBALDIワイナリーに到着。バルバレスコ村は例の世界遺産の2つ目の村になる。
このワイナリーでは、家族6人と手伝い5人で24ヘクタールの葡萄畑を作っていると言っていた。
24ヘクタールと言う広さが全くピンとこないのだが、農地と点在する農家の様子をみるとかなり広いのだろうということだけは想像できる。
日本農業センサス(2015年)によると一農家当たりの経営耕地面積は都府県で1.8ヘクタール、北海道で26.5ヘクタールとのことなので、このワイナリーでは北海道並みの広さで葡萄栽培をしているとなる。
ワイナリーの貯蔵庫見学や生産のことなど説明をうけて、眺めの良いテラスでワインの試飲をしている時だった。家の中から楽しげな歌声「ケ・セラ・セラ・・・」と楽しげな演奏と歌声が聞こえてきて、音の聞こえる方へ行ってみると、昼間から楽しげな宴会。のぞいたら、中へ招きいれられ、一緒に歌ったり、演奏したり、ワインをご馳走になり、思いがけず、楽しい時間を過ごすことになった。

村の名前がワインの銘柄になっていることに後できづいた。「統制保証付原産地呼称ワイン=DOCG」や「統制原産地呼称ワイン=DOC」は、厳しい基準を満たしたワインだけに与えられる最高級の格付けらしいが、この世界遺産の村々には最高級のワインが多いということだ。

自分が日本の農業県に住んでいるせいか、つい比較をしてしまうのだが、イタリアの農村の風景を美しく感じるのは、農業で生活してる人たちが常に農地を耕作し続けているためだと気づく。耕作放棄地というものを見ない。日本では20年くらい前から貿易の自由化で外国からの農産物が安く入るようになった。食管制度が廃止され、米の自由競争が始まり農家が保護されなくなったため、高齢化と共に耕作放棄地が急増した。荒れていく地元の農村風景を見てるものだから、このように手入れのいきとどいた農地を見ていると本当に美しいなあと感銘を受ける。農地と生産システムと育まれた文化を世界遺産に登録することで、この美しい景観と生産を未来につなげて行くことができる。それはこの土地の人々の努力の賜物なのだと感じた。いつまでもこの風景を残してもらいたい。

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