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日々の出来事

2021/03/21

時が止まったマテーラ

古い話になるのだが、3年前に友人とイタリアに行った続きの話になる。友人のたっての希望でマテーラという街に行くことになった。何処だそれは?のちに、日本の旅番組で紹介されて、なるほど、こんな番組を見れば行きたくなるよなと納得した。その時、ナポリの少し下のアマルフィの反対側に宿泊していたので、そこから車で3時間半はかかった。山と畑あるいは牧野だけの田舎道をひたすら走って、荒涼とした景色の中にポツンと現れた岩の街だった。地図でみると、踵に近い、というか、土踏まずに近いというか、福岡から大分を経由して宮崎に行くみたいな感じかもしれない。

(*写真をクリックすると大きくなります)

この長旅の後、現地ガイドに歴史的な街を案内してもらった。この写真スポットから眺めると、マテーラの街は山肌に張り付くようにあるのがわかる。四角い建物が重なるようになっているのだが、扉を開けて中に入ると山肌を掘った洞窟になっているのがなんとも不思議。

メインストリートにはちょっと珍しい教会があった。装飾をよく見ると「えっ!?」と思って写真を撮ってしまった。入り口の扉にドクロ、入り口の上の飾りにもドクロ。何を意味するのか分からないが・・・
 

この通りは日本の名前がいくつかある。”SHIBUYA”しぶやと書いた看板、音楽関係のお店なのか?ミュージアムの入り口に置かれたオブジェに ”K.AZUMA”と刻印されている。「マテーラではとても有名な日本人です」とガイド。イタリアで活動した吾妻兼治郎という彫刻家のことだった。

街全体と谷を挟んで対岸には昔の横穴式住居跡が見える。キリストをテーマにした映画の撮影も行われたそうで、確かに2000年前と変わらない風景なのかもしれない。

マテーラの昔のくらしが分かる博物館も見学した。昔と言っても、つい70年前のことだ。この住居に住んでいたのは農民で別の地域でもみたのと同じとてもつつましい暮らしをしていたことが分かる。この一部屋に平均6人と家畜1頭。戦後の改革で、国が衛生的な住居を提供する法律ができて、住民は新しい建物に移り住み、国が買い取ったそうだ。今は自分でリフォームすれば99年間無料で借りられることになってる。

居住地域の通りにかつて”ムッソリーニ通り”と言われた、通りがある。ムッソリーニが公共下水道を整備してくれたのでその名がついたらしい。それを聞いた時に私が想像したのは、ヒトラーがアウトバーンを人力で建設して雇用を創出して、支持を集めて絶対的な権力を握ったこと。こんな田舎までもそんな暗い時代の歴史が刻まれているのか・・・と。

ローカルガイドは”夜の散歩楽しんでね”と言って別れた。夕食の時間を7時半で予約をしてもらい、歩き疲れたのだが、夜の街に出かけた。3月とは言え、夜はまだ冷える。真っ暗なのに、なんと人出の多いこと!しかも子どもがたくさん歩いている。まるでお祭の夜のようだ。夏は外が40度になるので、日中の活動は控えて夜に動くらしいが、それが年中行事になったようだ。レストランは予約した時間より早く開くことはない。むしろ、遅くなるくらい、準備が整わなければ中に入れてくれない。時間つぶしで夜の教会にも立ち寄って見た。お祈りをしに来る人もいる。

この日の宿は洞窟住居となる。イタリアは土地によって、歴史と暮らしぶりが様々だということをこのマテーラの旅は実感させてくれた。この旅をリクエストしてくれた友人に感謝。

この時の食事のことは2018年のページで紹介させてもらった。
もっと食べたかった!ドルチェ
とりあえず、パスタ
前菜又は2番の料理